決戦前夜

 明日は管理職候補者試験の何度目かの課題提出日で、論文ありの面接ありちょっとした転職活動に近い面倒臭さに追い掛け回されている。思えば高校生の頃「大学に行けばもう勉強しなくて良い」という十代特有のお花畑思考に取り憑かれていたのだが、そんなことは全く無い。生涯において満遍なく勉強はしなければいけないのだ。

それにしても全くやる気が湧いてこないのが恐ろしい。出世のための勉強などは虚しいものだ。教育とは一歩間違えれば洗脳であることは今更述べるまでもないだろう。そうなのだ。出世するためには自ら洗脳されて行かなくてはいけない。そりゃあやる気が湧かないはずである。

こうなってくると、つくづく我が身が呪わしい。今回管理職候補者試験に手を挙げたのは、年齢相応の社会的責任を追わなければ、かえって生き辛くなるという予感があったためだ。趣味人として熱狂するようなものを見つけられなかった以上、仕事に殉ずるのも悪くはないと思うのだ。

そう思いつつも「論理的思考力と業務遂行力を測る」と謳っておきながら、結局のところ幹部連中の思いを忖度出来なければ合格することが出来ないクソみたいな課題に向き合うのは結構しんどい。こういうときに、家族なり恋人が支えてくれればと思うが、無いものをねだっても仕方ない。

こうして、せっかくの休日をダメな学生だったころの試験前のような、憂鬱にして効率の上がらない頭の天辺がキューッと絞られるような拷問タイムにしてしまうのだ。

そう、歳を取るにつれて拷問の度合いが酷くなっていく。出かけたって散財したって、もう視界は灰色のままで、かつての色彩を取り戻すことはないのだ。

趣味は好きになったら関係ないその①

ある日衝動的にガンプラを組みたくなってAmazonで発注したものの、いざ実物を手に取るとなかなか手が動かず、1か月くらい経って漸く素組で完成しそうである。更にこれから塗装等をすると、真の完成はいつになるのだろうか。そんな話。

 

www.amazon.co.jp

 

三十半ばも過ぎてガンプラなぞ作って何やってんだよ、という気持ちがあるから手が動かないのだろう。僕はどうしてもオタク趣味には罪悪感を覚える人間で、好きになった対象をわざわざ批判的な視点で反芻したがる悪い癖がある。好きになったら関係ないよ」と知人は僕に諭すのだが、そう簡単に割り切れないのが人間だ。

しかし、ガンプラを取り巻く環境に関して言えば「クレイジー」の一言だ。どうやら毎月のように新作がリリースされるているのだが、結局のところ立体化されるモチーフは20~30年以上の前のものばかり。思えば20年前、高校生だったころ「そろそろプラモデルは卒業だな」と決心し、洋楽を聞いたり彫刻をやったり受験勉強したり、背伸びして大人になろうとした。それでも最新のアニメから立体化されるプロセスは気になって仕方がなかった。今はそういう時代では無い…いや、変わったのは時代ではなく自分自身なのだろうか。

…先日、ビックカメラで塗料を買おうとしていたところ、子連れの夫婦が子供にガンプラを無理矢理買い与えようとする場面に出くわした。お母さんは子供に父がモチーフを知っている玩具を買い与えることで父子のコミュニケーションの場を設けたいと考えている。お父さんはどうでも良さそう。子供はゲームを買ってほしくてガンプラなんて欲しくない。聞いているとそのような感じだ。

そんな光景を見て、ある少年時代のある時期、父親が狂ったようにドイツのプロペラ機のプラモデルを作り倒すのに付き合わされたことがフラッシュバックした。僕は中年になったことを受け入れながらも、作りたいものを作る。作りたいものを前にして、家政学的な効用や文化的な継承など考えるような人間にはなりたくない。

デカダンス、という単語が脳裏をよぎる。10代のころの思い出は美しく保たれることは無い恐ろしいことに、まっとうな理屈の元に美しい思い出は消化されてしまうのかもしれないと思った。

(続く?)

アナバイトは安全か?その②

前回アナバイトの記事を書いてから1か月が経ち、その間ぼちぼちとこのブログに1日5~10回程度アクセスが続いた。ここはあくまで趣味のブログなので、自分の気の赴くままにやっていきたいと思うものの、それなりに需要があるのならきちんとオチは付けたほうがよいだろうと思い、続きを記すことにした。ポルノの記事はそれなりに気合を入れて書いたのにほとんどリピートが無い。チクショウ。

さて、今回は新品のアナバイトを開封して即切断した画像である。物はAmazon履歴によると9月4日にロサンゼルスから発送、9月15日に自宅に届いたものである。前回の画像はスマホで適当に撮ったものだが、今回はそれなりに環境を整えて真面目にデジカメで撮影した。とは言ったものの、手持ちのデジカメはCanonPowerShot S95」(2010年8月26日発売)で古い機種だ。肉眼で見たものと画像の印象はかなり違うということをあらかじめお断りしておく。

【ライティング有】

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【ライティング無】

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念のため2バージョン撮影したが、どちらかというとライティングが無い方が実物に近い。つるっとした表面からして練り物のような均質な断面かと思いきや、多種の混ざった顆粒がコーティングされて錠剤化したものがアナバイトなのだ。顆粒は主に赤茶・白・黄色で、少なくとも現時点では黒っぽいものは混じっていない。保存状態が悪いと顆粒が黒ずみ、表面にも黒い斑紋が出てくると思われる。それから、今更気が付いたのだが、アナバイトの容器に入っている乾燥剤は結構小さい。(錠剤一粒と同じ程度の大きさである。)

というわけで、今回の検証は前回の仮説(?)を裏付ける結果となった。

・・・さて、皆さんはどのように感じただろうか。自分で言うのもどうかと思うが、結局のところ所詮は素人の手遊びなので、ガバガバな検証なのだ。例えば「どうして自宅にアナバイトが届いた瞬間に開封しなかったのか」とか「こんなピンボケな画像で何が分かるんだ」とか「ちゃんと開封してすぐ撮影したのか」とか「気温と湿度は記録してるのか」とか、ツッコミどころは満載だろう。

前回の記事でも書いたが、僕は製薬関係の人間でもなければアスリートでもない、ただの一般消費者である。本当は専門家に実験してもらうなり、まともなyoutuberに検証動画を撮ってもらう方が良いとは思うしかし、今のところこの手のレポートは見たことが無いので、biim兄貴リスペクトでマイナークソゲーRTA動画よろしく、ガバガバでも良いと割り切ってやっている。

冗談は置いておいて、誰か技術・知識と環境がある人はやってくれないものだろうか。本当に。

余談になるが、前回の記事を書いてから僕はアナバイトを全く摂取していないが、体感的に変化はない。(そもそも、個人的には1か月アナバイトを抜いたらどうなるのかを体験してみたかったのだ。)というより、心境の変化があってサプリにたよらず出来る限り自炊してバランスよく食事したほうが良くないかと考え直している。

いずれにせよ今回の教訓は、サプリと言えども口にするものは、食材と同じで購入したら自分で保存状態をよりよく保つ努力をしなければならないということだ。

 

【遮光容器に移し替えてシリカゲルを増したアナバイト】

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上の画像が自分用のアナバイトである。こんな工夫をしたからと言って、本質的にアナバイトが安全かどうかは依然として分からないし、専門家から見たら全く意味のない行為かもしれない。それでもやらないよりはマシで、自分自身で一生懸命考えてベストだと思う方法で試行錯誤していくしかないのだろう。

アナバイトは安全か?

思い出したようにヘルスの話題。ヘルスと言っても健康の方で、有名なサプリメントであるガスパリ社の「アナバイト」についてである。ファッション・ヘルス「穴バイト」とかバカなことを言い出したくなる筆者を救ってほしい。

 

アナバイトは海外のサプリでいわゆるマルチビタミン剤なんだけれど、その他にもいろいろと入っているらしく、一部のネット民(?)からは熱狂的に支持されていた印象。アスリート御用達ということでダイエット効果が高いらしく、しかも国内のマルチビタミン剤と比較してもそれほど高値ではない。専門の通販業者のみが取り扱っている訳でもなく、Amazon楽天でも気軽に買える

と、ここまで書くと良いことづくめのようなんだけれど、肝心要の安全性は良く分からない。結局のところ、サプリメントは自己責任で使うしか無い。サプリメントに限らず、我々が口にするものは食物・飲料だって本当に安全である保証は無く、よほどの大金持ちでなければ日々リスクを背負って怪しいものを口にするしかない。

ところが、最近気になるニュースが飛び込んできた。

 

 

現在流通しているアナバイトが「汚染製品」であることが立証されてしまったのだ。

恐らく職業アスリートやそれを目指す人々はこのニュース後にアナバイトの摂取をやめたに違いない。問題は我々一般人で、ドーピング成分が入ったサプリをこれからも摂取するのか、判断を求められているということだ。ドーピング成分が入っていることは安全だとは言い難くなるが、結果を出したいのならかえって積極的に使ってみたいという人もいるだろう。もちろん、安全面だけでなく法的側面や倫理的側面だってある。

個人的な結論だが、僕はこれからもアナバイトを使用していこうと考えている。独身であるため、自らの身体にまつわる問題で誰かに迷惑をかける可能性が比較的低いのだ。むしろ、どうしても不摂生になりがちだからアナバイトに頼ろうと考える。そういうことなのだ。

そして今日になって手持ちのアナバイトの数量が少なくなったので追加購入しようと思ったところ、Amazonレビューで「見るからにヤバいもの入ってるんじゃね?」という投稿がいくつかあったので、自分自身も手元のアナバイトを検証することにした。

 

 

で、包丁でぶったぎった画像。

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スマホのカメラで撮影したので、かなり赤みがかった画像になっているが、黒い異物的な何かが確認できるAmazonレビューで報告されている現象と同じである。開封した状態のアナバイトの断面を確認していないので何とも言えないが、恐らく保存状態が悪く酸化してしまっているように思われる。

僕は文系なのでサプリや薬についての専門的知識は一切無いので、ここからは伝聞と想像による推論になるがアナバイトに限らず、海外サプリの難点として温度や湿度の影響を受けやすいことが挙げられるだろう。

国産のサプリメントは蓋を開けたまましばらく放置しておいても、見た目が劣化することはあまり無い。温度や室温の影響を受けない成分が含有されているのが国産なのだろう。一口に海外と言っても原産地や主な消費地域はそれぞれだが、仮にヨーロッパ産・ヨーロッパ消費であれば、日本ほど湿度の影響を考慮しない製品になっていると想像できる。

言い換えれば、海外サプリを使うのであれば保存方法を各自しっかりやるべきなのだ。(写真のアナバイトは、今年の5月に購入してから空調の効かないキッチンに置きっ放しだった。つまり、保存状態はかなり悪い。)

もしかすると、アナバイトの容器自体が良くないのかもしれない。念のため今後は遮光ボトルとシリカゲルを購入し、そこに入れ替えて使用することにした。つまり、懲りずにアナバイトを使用するつもりだ。

という訳で、皆さんも世のため人のため穴バイトサプリ人柱やってみませんか?

オタク考その①

8月はエロ本だのエロゲーの話しかしていないと思うが、閑話休題…というか永遠にポルノの話題だけ続けるわけにはいかない。それにしても、前回はじめてのおするばん&おいしゃさんの話題を取り上げたら、やたらアクセス数が増えた。アクセス数を稼ぎたいとは思っていないが、拙文にお付き合いいただけたというだけでもありがたい。

僕の高校時代、校長がよく「稚心を去れ!」と口にしていた。これは幕末志士の橋本左内の言葉のようだが、いつまで経っても小学生のようなマインドの僕らに憂うところがあったのだろう。さて、それから20年経って僕は稚心を去ることが出来たのだろうか。

結論から言うと、僕はまだ幼稚なままでいる。ここ最近、ポルノの思い出を書き連ねているのは書いていて面白いというのもあるが精神的に成熟出来なかった過程をポルノを通じて見直しておきたいという気持ちがあったからだ。分別もつき歳を取った今、人間誰しも子供の心を抱えたまま生きているものだということも分かっている結局は信念の問題なのだろう。

信念といえば、僕の頭のなかにはオタク=幼稚=人間のクズという図式がある。時代は変わるもので、オタクという呼称にポジティブな意味が付与されたりされなかったりするものの、依然として僕自身はオタクでありがなら、オタクであることを恥ずかしく思っている。(余談:オタクという言葉の定義は多種多様だが、個人的にはオタクは2類型で十分に説明がつくのだ。①一人だけつまらないことにいつまでも固執している:昭和に多い②集団で薄っぺらいことでイキってる:平成に多い)

そして僕は自らを幼稚でクズな出来損ないだと思って絶望するのだが、結局分からないのだ。どうして自分は子供の頃からアニメ・ゲーム・漫画等に性的倒錯を覚えるほどのめり込んでしまっているのだろうか。

例えば「毎日お風呂に入ってゴシゴシと体を洗えば良い」という言説がある。もちろんそれはそうなのだが、お風呂に入らないからオタクということにはならないだろう。オタクだからお風呂に入らないのだ。この手の話題は見聞して面白いが、当事者からすれば残酷なだけに過ぎない。本当は、風呂に入るのを忘れるほど入れ込んでしまうほど夢中になっていたものがあったのに、いつしか夢そのものを見失ってしまい、絶望している。きっとそんなところなのだろう。

ニーチェの本に「愛せないのであれば過ぎ去れ」的なことが書いてあった。きっと僕はアニメを見なくても行きていけるし、ゲームもやらなくたって良い。それでも毎日の生活は明かりのない洞窟のようなものだ。そこで偶像崇拝をすることはおかしなことだろうか?(続く)

ポルノ煉獄伝その5.0 はじめてのおるすばん&はじめてのおいしゃさん

タイトルの時点でもうしれない。前回、僕は同人誌(レイプもの)に手を染めたことを述べた。人間一線を越えてしまうとどこまでも遠くに行けるものである。俺達の変態はこれからだ!とでも言えば良いのだろうか。(俺達の人生はこれまでだとも言う。)

はじめてのおるすばんについては、ここであえて詳しく説明する必要は無いだろう。簡単に言うと、大学生が頭の弱い双子の幼女とひたすらSEXするだけという、ある種のピカレスク・ロマンなのだ。(たぶん)

…一応、時代的な説明は必要だろう。1999年に児ポ法という法律が公布された。この法律の中身を乱暴に要約すると「18歳未満のヌードの販売禁止」である。今にしてみれば考えられないことではあるが、20世紀末までは本屋で未成年のヌード写真集が普通に買えたのである。そこを人権問題の観点から規制しよう、という話である。

当時の僕(ら)にとって、この問題は複雑である種の踏み絵となった。当時僕は大学生になったばかりだったが、まっとうに社会の構成員になりたいという気持ちもあれば、堕落と放蕩の限りを尽くしたいという気持ちもあった。昼は大学生で夜は無法者。まるでタキシード仮面の心境である。

実際問題、僕は大学で社会学を専攻していたため、同じゼミの女の子に児ポ法がらみの議論をふっかけられて消耗した。子供の人権問題とか表現の自由とか、センシティブなように見えるが凡庸な結論にしか至らないこの問題について、単位のためとは言え僕はレポートを書くことが苦痛で仕方なかった。

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さて、はじめてのおるすばんはじるす)の発売日は2001年末である。はじるす児ポ法で弾圧(?)されたロリコンの受け皿になったことは間違いない。当時の2ch等のログを見ると発売前は「こんなクソゲーだれが買うか!」「買う奴は頭おかしい」「さおりたん(;´Д`)ハァハァ」といった論調だった。しかし発売されるや否やすぐに品薄になり「徹夜して並んででも買えば良かった!」「おしっこキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」「しおりたん(;´Д`)ハァハァ」という評価に転じた。発売直後にはじるすを買いそびれた哀れな魂の持ち主がゲームショップを彷徨うというはじるす難民現象の痛々しい報告が2chでよく見られた。

…で、書いててどうでも良くなってきたのでアレなんだけど、僕ははじるすの頭の悪さがもの凄く好きだった。あまり説得力はないがぼくはロリコンじゃない。中学時代に好きだった女の子の面影をいつまでも追いかけているだけのマヌケではあるが、幼女自体に興味があった訳ではない。そういうジレンマを、はじるすのバカな前説「みんな18歳以上だからね!」が吹き飛ばしてくれたのである。

結局のところ、男は幼い容姿の女の子が好きで、女はそういう男を気持ち悪く思う。ただそれだけのことである。そして僕は、気持ち悪い男として生きていこうと覚悟を固めたのである。

気持ちの悪い僕は、閉ざされた世界の中で二人の幼女を愛でる大学生である、はじるすの主人公に感情移入して、しがらみだらけの現実から精神的に一時避難をした。そしていつしか現実に戻れなくなり…(続く?)

 

追記:

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どうでも良いのだけれど、二匹目のドジョウを狙ってはじるす発売から半年後に発売された、はじめてのおいしゃさんはじいしゃ)の方が個人的に好きだ。世の中を小バカにしつつさらに一儲けしてやろうという悪意の香りがプンプン漂うのだ。

ポルノ不健全録その4.0 聖リオ ラブだし

前回、ロリ漫画とクリーム誌ばっかり買っていたということを述べた。齢18歳くらいのころの出来事である。「僕は変態なのではないか?」←大正解!という罪悪感を感じながらも「だって男子校の落ちこぼれなんだから仕方ないじゃないか!」という当然の権利感の間に揺れ動き、ただのスケベ少年のくせにいっちょ前の葛藤を抱く日々は続いた。

ある日ヘッセの「デミアン」を読んで、大人として社会の構成員になることが辛く苦しいことだと知った。不思議なことに、どれだけエロ本を買おうと大人の誰にも咎められることが無いということが、地味に僕を苦しめた。

もはや時代的に大人は「子供の権利の前に立ちはだかる倒すべき相手」では無くなっていた。大人が子供を恐れるようになった、というよりは実は心が子供のままの大人が自らの子供にシンパシーを感じることが出来ず立ちすくむという状況だったのかもしれない。そう言えば、援助交際という言葉はこの当時に流行した。

時は流れ、高校時代の多くの友達が理系(情報通信系)の大学に進学するという選択をする中で、僕は文系(社会学)の大学に進学した。この頃の僕は自分自身をどうにかして救いたいと考え、適応すべき社会、人間の構築した世界を良く知りたいと思うようになったからだ。今にして思えば安直な発想だが、この当時社会学は自意識過剰の十代からすると結構「イケてる」分野だったのだ。

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…そして僕は、薄い本に手を出し始めることになる。しかもレイプもの!どうしてこうなった!理性のタガが外れたと実感したのは、このときである。

「生まれ出るものは、一つの世界を破壊しなければならない」とヘッセは作品の中で述べた。僕はそういう心境だったのだと思う。成人を迎えて僕を悩ませたのは、いつしか抱くようになった(アニメやゲームキャラのような)非実在の二次元少女との恋愛感情である。そして、早く二次元少女のことは忘れて同年代の女の子とSEXしなければという強迫観念に苛まされた結果、僕は弾けた。

そして僕は、何かに取り憑かれたようにアニメキャラが陵辱される本を収集した。あまりにフロイト的な話であるが、本当にそのように感じていたのだから仕方あるまい。ただ僕は、生きていくために(アニメやゲームのような)運命のパートナーがそばに居てくれるという調和的な物語を否定する必要があった。僕は大学で友達がいなかったのである。

聖リオの荒々しい画風と、セイヤセイヤと神輿を担ぐようにアニメキャラを陵辱しつくすこの同人誌の頭の悪さには荒廃した精神にあっては随分と救われたものだった。そうだ、僕はゲスく生きよう!と誓ったのも本作品の影響によるものだろう。