アナバイトは安全か?

思い出したようにヘルスの話題。ヘルスと言っても健康の方で、有名なサプリメントであるガスパリ社の「アナバイト」についてである。ファッション・ヘルス「穴バイト」とかバカなことを言い出したくなる筆者を救ってほしい。

 

アナバイトは海外のサプリでいわゆるマルチビタミン剤なんだけれど、その他にもいろいろと入っているらしく、一部のネット民(?)からは熱狂的に支持されていた印象。アスリート御用達ということでダイエット効果が高いらしく、しかも国内のマルチビタミン剤と比較してもそれほど高値ではない。専門の通販業者のみが取り扱っている訳でもなく、Amazon楽天でも気軽に買える

と、ここまで書くと良いことづくめのようなんだけれど、肝心要の安全性は良く分からない。結局のところ、サプリメントは自己責任で使うしか無い。サプリメントに限らず、我々が口にするものは食物・飲料だって本当に安全である保証は無く、よほどの大金持ちでなければ日々リスクを背負って怪しいものを口にするしかない。

ところが、最近気になるニュースが飛び込んできた。

 

 

現在流通しているアナバイトが「汚染製品」であることが立証されてしまったのだ。

恐らく職業アスリートやそれを目指す人々はこのニュース後にアナバイトの摂取をやめたに違いない。問題は我々一般人で、ドーピング成分が入ったサプリをこれからも摂取するのか、判断を求められているということだ。ドーピング成分が入っていることは安全だとは言い難くなるが、結果を出したいのならかえって積極的に使ってみたいという人もいるだろう。もちろん、安全面だけでなく法的側面や倫理的側面だってある。

個人的な結論だが、僕はこれからもアナバイトを使用していこうと考えている。独身であるため、自らの身体にまつわる問題で誰かに迷惑をかける可能性が比較的低いのだ。むしろ、どうしても不摂生になりがちだからアナバイトに頼ろうと考える。そういうことなのだ。

そして今日になって手持ちのアナバイトの数量が少なくなったので追加購入しようと思ったところ、Amazonレビューで「見るからにヤバいもの入ってるんじゃね?」という投稿がいくつかあったので、自分自身も手元のアナバイトを検証することにした。

 

 

で、包丁でぶったぎった画像。

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スマホのカメラで撮影したので、かなり赤みがかった画像になっているが、黒い異物的な何かが確認できるAmazonレビューで報告されている現象と同じである。開封した状態のアナバイトの断面を確認していないので何とも言えないが、恐らく保存状態が悪く酸化してしまっているように思われる。

僕は文系なのでサプリや薬についての専門的知識は一切無いので、ここからは伝聞と想像による推論になるがアナバイトに限らず、海外サプリの難点として温度や湿度の影響を受けやすいことが挙げられるだろう。

国産のサプリメントは蓋を開けたまましばらく放置しておいても、見た目が劣化することはあまり無い。温度や室温の影響を受けない成分が含有されているのが国産なのだろう。一口に海外と言っても原産地や主な消費地域はそれぞれだが、仮にヨーロッパ産・ヨーロッパ消費であれば、日本ほど湿度の影響を考慮しない製品になっていると想像できる。

言い換えれば、海外サプリを使うのであれば保存方法を各自しっかりやるべきなのだ。(写真のアナバイトは、今年の5月に購入してから空調の効かないキッチンに置きっ放しだった。つまり、保存状態はかなり悪い。)

もしかすると、アナバイトの容器自体が良くないのかもしれない。念のため今後は遮光ボトルとシリカゲルを購入し、そこに入れ替えて使用することにした。つまり、懲りずにアナバイトを使用するつもりだ。

という訳で、皆さんも世のため人のため穴バイトサプリ人柱やってみませんか?

オタク考その①

8月はエロ本だのエロゲーの話しかしていないと思うが、閑話休題…というか永遠にポルノの話題だけ続けるわけにはいかない。それにしても、前回はじめてのおするばん&おいしゃさんの話題を取り上げたら、やたらアクセス数が増えた。アクセス数を稼ぎたいとは思っていないが、拙文にお付き合いいただけたというだけでもありがたい。

僕の高校時代、校長がよく「稚心を去れ!」と口にしていた。これは幕末志士の橋本左内の言葉のようだが、いつまで経っても小学生のようなマインドの僕らに憂うところがあったのだろう。さて、それから20年経って僕は稚心を去ることが出来たのだろうか。

結論から言うと、僕はまだ幼稚なままでいる。ここ最近、ポルノの思い出を書き連ねているのは書いていて面白いというのもあるが精神的に成熟出来なかった過程をポルノを通じて見直しておきたいという気持ちがあったからだ。分別もつき歳を取った今、人間誰しも子供の心を抱えたまま生きているものだということも分かっている結局は信念の問題なのだろう。

信念といえば、僕の頭のなかにはオタク=幼稚=人間のクズという図式がある。時代は変わるもので、オタクという呼称にポジティブな意味が付与されたりされなかったりするものの、依然として僕自身はオタクでありがなら、オタクであることを恥ずかしく思っている。(余談:オタクという言葉の定義は多種多様だが、個人的にはオタクは2類型で十分に説明がつくのだ。①一人だけつまらないことにいつまでも固執している:昭和に多い②集団で薄っぺらいことでイキってる:平成に多い)

そして僕は自らを幼稚でクズな出来損ないだと思って絶望するのだが、結局分からないのだ。どうして自分は子供の頃からアニメ・ゲーム・漫画等に性的倒錯を覚えるほどのめり込んでしまっているのだろうか。

例えば「毎日お風呂に入ってゴシゴシと体を洗えば良い」という言説がある。もちろんそれはそうなのだが、お風呂に入らないからオタクということにはならないだろう。オタクだからお風呂に入らないのだ。この手の話題は見聞して面白いが、当事者からすれば残酷なだけに過ぎない。本当は、風呂に入るのを忘れるほど入れ込んでしまうほど夢中になっていたものがあったのに、いつしか夢そのものを見失ってしまい、絶望している。きっとそんなところなのだろう。

ニーチェの本に「愛せないのであれば過ぎ去れ」的なことが書いてあった。きっと僕はアニメを見なくても行きていけるし、ゲームもやらなくたって良い。それでも毎日の生活は明かりのない洞窟のようなものだ。そこで偶像崇拝をすることはおかしなことだろうか?(続く)

ポルノ煉獄伝その5.0 はじめてのおるすばん&はじめてのおいしゃさん

タイトルの時点でもうしれない。前回、僕は同人誌(レイプもの)に手を染めたことを述べた。人間一線を越えてしまうとどこまでも遠くに行けるものである。俺達の変態はこれからだ!とでも言えば良いのだろうか。(俺達の人生はこれまでだとも言う。)

はじめてのおるすばんについては、ここであえて詳しく説明する必要は無いだろう。簡単に言うと、大学生が頭の弱い双子の幼女とひたすらSEXするだけという、ある種のピカレスク・ロマンなのだ。(たぶん)

…一応、時代的な説明は必要だろう。1999年に児ポ法という法律が公布された。この法律の中身を乱暴に要約すると「18歳未満のヌードの販売禁止」である。今にしてみれば考えられないことではあるが、20世紀末までは本屋で未成年のヌード写真集が普通に買えたのである。そこを人権問題の観点から規制しよう、という話である。

当時の僕(ら)にとって、この問題は複雑である種の踏み絵となった。当時僕は大学生になったばかりだったが、まっとうに社会の構成員になりたいという気持ちもあれば、堕落と放蕩の限りを尽くしたいという気持ちもあった。昼は大学生で夜は無法者。まるでタキシード仮面の心境である。

実際問題、僕は大学で社会学を専攻していたため、同じゼミの女の子に児ポ法がらみの議論をふっかけられて消耗した。子供の人権問題とか表現の自由とか、センシティブなように見えるが凡庸な結論にしか至らないこの問題について、単位のためとは言え僕はレポートを書くことが苦痛で仕方なかった。

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さて、はじめてのおるすばんはじるす)の発売日は2001年末である。はじるす児ポ法で弾圧(?)されたロリコンの受け皿になったことは間違いない。当時の2ch等のログを見ると発売前は「こんなクソゲーだれが買うか!」「買う奴は頭おかしい」「さおりたん(;´Д`)ハァハァ」といった論調だった。しかし発売されるや否やすぐに品薄になり「徹夜して並んででも買えば良かった!」「おしっこキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」「しおりたん(;´Д`)ハァハァ」という評価に転じた。発売直後にはじるすを買いそびれた哀れな魂の持ち主がゲームショップを彷徨うというはじるす難民現象の痛々しい報告が2chでよく見られた。

…で、書いててどうでも良くなってきたのでアレなんだけど、僕ははじるすの頭の悪さがもの凄く好きだった。あまり説得力はないがぼくはロリコンじゃない。中学時代に好きだった女の子の面影をいつまでも追いかけているだけのマヌケではあるが、幼女自体に興味があった訳ではない。そういうジレンマを、はじるすのバカな前説「みんな18歳以上だからね!」が吹き飛ばしてくれたのである。

結局のところ、男は幼い容姿の女の子が好きで、女はそういう男を気持ち悪く思う。ただそれだけのことである。そして僕は、気持ち悪い男として生きていこうと覚悟を固めたのである。

気持ちの悪い僕は、閉ざされた世界の中で二人の幼女を愛でる大学生である、はじるすの主人公に感情移入して、しがらみだらけの現実から精神的に一時避難をした。そしていつしか現実に戻れなくなり…(続く?)

 

追記:

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どうでも良いのだけれど、二匹目のドジョウを狙ってはじるす発売から半年後に発売された、はじめてのおいしゃさんはじいしゃ)の方が個人的に好きだ。世の中を小バカにしつつさらに一儲けしてやろうという悪意の香りがプンプン漂うのだ。

ポルノ不健全録その4.0 聖リオ ラブだし

前回、ロリ漫画とクリーム誌ばっかり買っていたということを述べた。齢18歳くらいのころの出来事である。「僕は変態なのではないか?」←大正解!という罪悪感を感じながらも「だって男子校の落ちこぼれなんだから仕方ないじゃないか!」という当然の権利感の間に揺れ動き、ただのスケベ少年のくせにいっちょ前の葛藤を抱く日々は続いた。

ある日ヘッセの「デミアン」を読んで、大人として社会の構成員になることが辛く苦しいことだと知った。不思議なことに、どれだけエロ本を買おうと大人の誰にも咎められることが無いということが、地味に僕を苦しめた。

もはや時代的に大人は「子供の権利の前に立ちはだかる倒すべき相手」では無くなっていた。大人が子供を恐れるようになった、というよりは実は心が子供のままの大人が自らの子供にシンパシーを感じることが出来ず立ちすくむという状況だったのかもしれない。そう言えば、援助交際という言葉はこの当時に流行した。

時は流れ、高校時代の多くの友達が理系(情報通信系)の大学に進学するという選択をする中で、僕は文系(社会学)の大学に進学した。この頃の僕は自分自身をどうにかして救いたいと考え、適応すべき社会、人間の構築した世界を良く知りたいと思うようになったからだ。今にして思えば安直な発想だが、この当時社会学は自意識過剰の十代からすると結構「イケてる」分野だったのだ。

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…そして僕は、薄い本に手を出し始めることになる。しかもレイプもの!どうしてこうなった!理性のタガが外れたと実感したのは、このときである。

「生まれ出るものは、一つの世界を破壊しなければならない」とヘッセは作品の中で述べた。僕はそういう心境だったのだと思う。成人を迎えて僕を悩ませたのは、いつしか抱くようになった(アニメやゲームキャラのような)非実在の二次元少女との恋愛感情である。そして、早く二次元少女のことは忘れて同年代の女の子とSEXしなければという強迫観念に苛まされた結果、僕は弾けた。

そして僕は、何かに取り憑かれたようにアニメキャラが陵辱される本を収集した。あまりにフロイト的な話であるが、本当にそのように感じていたのだから仕方あるまい。ただ僕は、生きていくために(アニメやゲームのような)運命のパートナーがそばに居てくれるという調和的な物語を否定する必要があった。僕は大学で友達がいなかったのである。

聖リオの荒々しい画風と、セイヤセイヤと神輿を担ぐようにアニメキャラを陵辱しつくすこの同人誌の頭の悪さには荒廃した精神にあっては随分と救われたものだった。そうだ、僕はゲスく生きよう!と誓ったのも本作品の影響によるものだろう。

ポルノ懺悔録3.0 月刊Cream

前回の繰り返しになるが、僕の通っていた高校は学級文庫という慣わしにより、特定のグループ内で示し合わせたかのように違うエロ雑誌を購入して持ち寄る文化があった。毎月リリースされるさまざまなエロ本を網羅するための互助会が自然に形成されるのである。僕の所属(?)していた互助会は漫画とかロリものを好んで買う連中が多く、素人投稿系の雑誌ばかり収集していたグループと戦利品を見せあってはお互いのことを「ド変態」と罵り合っていた。牧歌的な時代である。

さて、そんな一方僕は自分の性欲と現実の折り合いを付けることに苦慮するようになっていた。性的嗜好は生まれつきのものなのか学習されたものなのか、という問題である。

 

気がつけば僕は漫画ロリコングループに所属しており、そこでコミックドルフィン誌の購入担当であった。この辺りの事情は入り組んでいる。僕はこのグループのメンバーと非常に馬が合い、エロ本の融通以上にただ所属することに居心地の良さを感じていたという側面もあるが、いわゆる縦筋一本で描かれた女性器に酷く執心していたという側面もある。今となっては笑い話以外の何物でもないが、普通にキモい少年である。

結局のところ、身近に女の子が居ない10代という問題は重要で隔絶された中で僕と仲間たちはイメージの中の「少女」を渇望することになった。一人でも同い年の女友達がいれば、このようなことにはならなかったのだろう。しかし仲間たちはこの問題を楽観視していて「高校出れば彼女くらい出来る」とか「二次元の女の子の方が可愛い」とか「小学生レイプしてー!」とか言って掘り下げて考えるようなことはしなかった。

 

ただ、僕はこの問題を深刻に考えていた。このまま現実を直視しないまま歳を取ればどうなってしまうのかと悩んだ。どうしても同学年の女の子の生態が知りたく、毎月クリーム誌を買っては悶々とする日々が続いた。当時のクリーム誌は謎の位置づけで、ブルセラ雑誌でも無くアイドル雑誌でもないという微妙な編集方針が僕の心を揺さぶった。乳首や陰毛の露出はほとんどない。せいぜいパンチラが良いところだ。垢抜けているんだかどうだか微妙な感じモデルの制服・スク水・ブルマ姿がポエムまじりに紙面を飾るという、思い出すだけでも赤面ものである。

僕の友人は「裸が全然ない。こんなのじゃ抜けないよ!」とクリーム誌を購入する僕をしばしば面罵し無能扱いした。十代の憧憬は、だいたいお互いが別の方向を向いているものである。

僕はクリーム誌のモデルのパンチラを眺めては、その先にある女性器に思いを馳せつつも未来を恐れた。大人になれば女性器なんていくらでも見られるしSEXだって出来ると仲間は言うが、僕は大人にはなりたくなかった

 

…当時一番好きだったモデルは谷口ともみ。大学に行けば、こんな感じの彼女ができるかなと夢想したが、現実にはこれほど器量の良い女の子はなかなかお目にかかれるものでは無い。僕はそんなことも知らず、そんなことを想像無いほどアホだったということだ。

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ポルノの思い出② 桜内彩華 乙女の純真

この文章を書くことに、とても抵抗感がある。心の奥底に蓋をしていた記憶を掘り返さなければならないからである。自分が大人になるために受け入れてしまったこと。拒めるのであれば、何としてでも拒むべきだったこと。そんな思い出。95年位の話である。

僕が中学時代に過ごしたS県某市は80年代にベットタウンとして整備された市であり、昔からの地主と工業団地の労働者と地方から来たホワイトカラーの立身出世組の世帯が混在する、ドストエフスキー的な世界であった。恐らく、昭和にありがちな光景なのだろうが、これら文化的に違いすぎる世帯の子供たちが、同じ公立学校で義務教育を学ぶ。そんなカオスな状況の中僕は少年時代を過ごした。

僕はホワイトカラーの世帯の子供だったから、ご多分に漏れずいじめの標的になりやすかった。大概の場合、工業団地の労働者の子供たちは結束力が高く家族ぐるみで団結している一方で、ホワイトカラーの世帯はそれぞれの企業に縛られるように地域やら学校教育にはあまり興味が無く、ただ子供は雑食でたくましく育って欲しいと考える。そんなホワイトカラーのスカした考えが工業団地の労働者の不興を買うのだ。(余談だが、今思い返すと地主の子供たちは腐るほど玩具を持っていて、いささか頭が弱いという印象だけしかない。)

僕の生存戦略は、勉強すること。学力があれば同級生には一目置かれることもあるし、陰湿な共同体から出ていくことも可能なのだ。

…と、前置きが長くなってしまった。この記事ではどんなエロ本を買ったか、ということが重要である。

 

 第二章:泣きながら抜くということ

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ドーン!

 

お前ロリコンかよ!と笑ってはいけない。今となってはこの手の本は児童ポルノなので購入どころか所持すら出来ない。しかし、当時は普通に本屋で買えたのである。(※児ポ法の関係で、実際に購入したものとは違う画像を掲載する。)

当時15歳だった僕は、同級生のNが好きだった。しかし、Nは工業団地の労働者の娘だったから、精神的にも文化的に釣り合う仲にはならなかったのだろう。当時の僕はそう考えた。彼女は風変わりな女の子で、小学6年生になってからピアノを始めたり、思春期を迎えると文化的な生業に手を染めたがっていた。愚かな僕は自分が文化的な存在だと考えたから、彼女を散々からかって楽しんだ。(男の子というものはそういうものだ。

中学卒業を迎えて僕は進学校へ進路を決め、Nは変哲もない高校へと進学を決めた。不幸にも、当時のS県の進学校は男子校しかなかった。今生の別れである。…今からすると大げさな感じはする。しかし、当時は携帯電話も無ければEメールも無い。進学するということは、成長するための別れであり受け入れなければならないものだ。何はともあれ、そういう時代だったのだ。

僕が後悔しているのは、中学卒業のときNが遊園地に行こうと誘ってくれたのを断ったこと。僕は乱暴なだけの地元の共同体から出ることをずっと渇望していたから、最後に思い出を作ろうとか、そういう考えは一切無かったのだ。

 

…時は流れて、高校進学してから数ヶ月後。僕はすっかりホームシック(?)になってしまい、成績を大きく下げてしまった。燃え尽き症候群というやつである。悲しいことに、僕のように前近代的な地元から出ていくことを目標として高校に来たような連中は少なく、多くの同級生は中学時代の連帯を保ちながら新しい目標へと邁進していた。

僕はNに会いたくて仕方なかったが、もう戻ることはできないこともよく分かっていた。

あるとき、僕はNの面影のある少女の写真集を書店で見つけた。悪名高い力武誠氏によるさーくる社の写真集である。ナポレオン文庫を買うことにすっかり慣れていたので、エロ本の類を買うことにはすっかり慣れたものだったが、さすがに躊躇いを覚えた。しかし、それも時間の問題だった。これが、リアル女性の裸を求めたきっかけである。僕は元同級生のNの息づかいを求めた。やはりエロスは孤独感と密接な関係があるのだ。

僕は暫くの間、Nに面影のある少女の裸で自らを慰めた。しかし、そんな時間は思いの外長く続かなかった。男子校に進学し、体育会系(陸上部)に所属していたことが幸い(?)したのか、学級文庫と称してエロ本が毎週数冊レンタルで回ってくることになったからである。

結局のところ、こうした悲しい思いを引きずった十代の少年は僕だけで無かったのである。悲しみを越えるために、僕と僕の仲間は心の友と認め合い、僕はコミックドルフィン購入担当となり、仲間に貢献することを誓ったのである。

(続く?)

 

追記:思い出深いこの本は、大学進学とともに破棄した。愚かにも大学に進学すれば容姿も性格も良く、自分と世界観を共有してくれる女性が無条件に現れると盲信したのである。

ポルノの思い出① スカイ・ウェブを突破せよ!

唐突であるが、HDDに15年分のエロファイル云百GB分が蓄積されていることに気づき、これからの人生に必要だと思えなかったので、整理を行った。そんな話。

 第一章:そもそもの始まりは?

エロスと孤独感には何らかの相関関係があるのではないか、と思っている。僕が性にのめり込むときはだいたい強い孤独感を抱いているときで、大人になるにつれて孤独感は募っていき、その都度エロファイルは増えていった。

始まりは、フランス書院ナポレオン文庫からだった。今でもあまり変わらない状況だとは思うが、ライトノベルに隣接したところにエロ小説が置いてあるものだった。そして僕は誰から命じられることもなく、少しずつナポレオン文庫を買っていった。当時の心境を思い出すことは出来ないが、禁止されていることを侵犯していくことが大人への通過儀礼だったのだろう。それにしても、十代特有の性衝動、あれは一体何なんだろうか。

僕の生家は割りと厳格で、当時中学生だった僕は漫画の単行本を買うことを禁止されていた(友達付き合いのためにジャンプとかの漫画雑誌は許可されていた)が、書籍はどんなものでも買って良いとされた。ライトノベルでもエロ小説でも、アングラ系の雑誌でも何故か容認されたのである。そんなこともあり、中学時代の僕の性衝動はエロ小説への収集へと向かっていったのである。

この当時は、リアル女性の裸にはあまり関心が無いというか、自分が本当に性交渉をする存在になるという実感は殆ど無かった。本当に子供だったのである。

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特に思い入れがあるという訳ではないか、たまたま覚えていた作品。宇宙軍の新米少尉がコールドスリープから目覚めた伝説の軍人に陵辱されながらも異星人から地球を救うという内容だったはず。この作品が僕の人格形成に関与していたら、と思うと辛い気持ちになるので、フロイト的解釈はここでは行わない。

今もそうだが、SF風味のポルノは王道作品なのだろう。

当時なぜこの本を買ったかはよく覚えてないが、単にエロい小説が読みたいという気持ちだけではなかったような気がする。一回り上の世代が体験しているLD(レーザーディスク)媒体の作品もこういう作風が多かったこともあり、自分なりに新しい知識を求めようと必死だったのだ。ちなみに、僕はパソコン通信を実体験した世代でなく、もっぱら書店で情報を拾ったクチだ。

ライトノベルを中心として読みながらも、背伸びして世界文学全集にあるような大作を読みつつエロ本も収集する。そういうクソガキ少年だったのである。

 

…唐突に思い出したが、この本はまんがの森で購入した。

 続く?