決戦前夜

 明日は管理職候補者試験の何度目かの課題提出日で、論文ありの面接ありちょっとした転職活動に近い面倒臭さに追い掛け回されている。思えば高校生の頃「大学に行けばもう勉強しなくて良い」という十代特有のお花畑思考に取り憑かれていたのだが、そんなことは全く無い。生涯において満遍なく勉強はしなければいけないのだ。

それにしても全くやる気が湧いてこないのが恐ろしい。出世のための勉強などは虚しいものだ。教育とは一歩間違えれば洗脳であることは今更述べるまでもないだろう。そうなのだ。出世するためには自ら洗脳されて行かなくてはいけない。そりゃあやる気が湧かないはずである。

こうなってくると、つくづく我が身が呪わしい。今回管理職候補者試験に手を挙げたのは、年齢相応の社会的責任を追わなければ、かえって生き辛くなるという予感があったためだ。趣味人として熱狂するようなものを見つけられなかった以上、仕事に殉ずるのも悪くはないと思うのだ。

そう思いつつも「論理的思考力と業務遂行力を測る」と謳っておきながら、結局のところ幹部連中の思いを忖度出来なければ合格することが出来ないクソみたいな課題に向き合うのは結構しんどい。こういうときに、家族なり恋人が支えてくれればと思うが、無いものをねだっても仕方ない。

こうして、せっかくの休日をダメな学生だったころの試験前のような、憂鬱にして効率の上がらない頭の天辺がキューッと絞られるような拷問タイムにしてしまうのだ。

そう、歳を取るにつれて拷問の度合いが酷くなっていく。出かけたって散財したって、もう視界は灰色のままで、かつての色彩を取り戻すことはないのだ。