ポルノ不健全録その4.0 聖リオ ラブだし

前回、ロリ漫画とクリーム誌ばっかり買っていたということを述べた。齢18歳くらいのころの出来事である。「僕は変態なのではないか?」←大正解!という罪悪感を感じながらも「だって男子校の落ちこぼれなんだから仕方ないじゃないか!」という当然の権利感の間に揺れ動き、ただのスケベ少年のくせにいっちょ前の葛藤を抱く日々は続いた。

ある日ヘッセの「デミアン」を読んで、大人として社会の構成員になることが辛く苦しいことだと知った。不思議なことに、どれだけエロ本を買おうと大人の誰にも咎められることが無いということが、地味に僕を苦しめた。

もはや時代的に大人は「子供の権利の前に立ちはだかる倒すべき相手」では無くなっていた。大人が子供を恐れるようになった、というよりは実は心が子供のままの大人が自らの子供にシンパシーを感じることが出来ず立ちすくむという状況だったのかもしれない。そう言えば、援助交際という言葉はこの当時に流行した。

時は流れ、高校時代の多くの友達が理系(情報通信系)の大学に進学するという選択をする中で、僕は文系(社会学)の大学に進学した。この頃の僕は自分自身をどうにかして救いたいと考え、適応すべき社会、人間の構築した世界を良く知りたいと思うようになったからだ。今にして思えば安直な発想だが、この当時社会学は自意識過剰の十代からすると結構「イケてる」分野だったのだ。

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…そして僕は、薄い本に手を出し始めることになる。しかもレイプもの!どうしてこうなった!理性のタガが外れたと実感したのは、このときである。

「生まれ出るものは、一つの世界を破壊しなければならない」とヘッセは作品の中で述べた。僕はそういう心境だったのだと思う。成人を迎えて僕を悩ませたのは、いつしか抱くようになった(アニメやゲームキャラのような)非実在の二次元少女との恋愛感情である。そして、早く二次元少女のことは忘れて同年代の女の子とSEXしなければという強迫観念に苛まされた結果、僕は弾けた。

そして僕は、何かに取り憑かれたようにアニメキャラが陵辱される本を収集した。あまりにフロイト的な話であるが、本当にそのように感じていたのだから仕方あるまい。ただ僕は、生きていくために(アニメやゲームのような)運命のパートナーがそばに居てくれるという調和的な物語を否定する必要があった。僕は大学で友達がいなかったのである。

聖リオの荒々しい画風と、セイヤセイヤと神輿を担ぐようにアニメキャラを陵辱しつくすこの同人誌の頭の悪さには荒廃した精神にあっては随分と救われたものだった。そうだ、僕はゲスく生きよう!と誓ったのも本作品の影響によるものだろう。